人斬り (1969) / Tenchu!

『人斬り』(ひときり)は、1969年(昭和44年)8月9日公開の時代劇映画。監督は五社英雄。製作はフジテレビジョン+勝プロダクション。配給は大映。司馬遼太郎の短編『人斬り以蔵』を参考文献にしたオリジナル作品で、脚本は橋本忍が担当した。
動乱の幕末を舞台に、下級武士出身ながらも京の都を震撼させ「人斬り以蔵」の名を轟かせた土佐最強の暗殺剣士・岡田以蔵の半生を、土佐勤皇党の党首・武市半平太との関係を基軸に描いた娯楽歴史劇である。キャストは勝新太郎、仲代達矢、三島由紀夫、石原裕次郎といった豪華な顔ぶれで、特に本業が俳優でない三島の起用が大きな話題を呼んだ

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人斬り (1969) / Tenchu!のあらすじ

時は幕末。文久2年(1862年)の土佐の谷里郷に、剣術の才覚がありながらも藩内の厳しい身分制という壁に阻まれ立身を望めず、その日暮らしに甘んじていた青年・岡田以蔵がいた。彼は背に腹は替えられぬ思いで、ついに家の隅で埃をかぶる先祖伝来の鎧兜を骨董屋に売り払うも相手にされず悲嘆に暮れていた。

そんなとき、土佐随一の政治力を握っていた土佐勤皇党の武市半平太は、土佐藩執政・吉田東洋をクーデターによって追い落とし自ら取って代わることを計画する。師の武市に呼び出された以蔵は、東洋暗殺の様子をじっくり視察せよと命じられた。その夜が、まだ人を斬ったことのない以蔵を変えた。人を斬る、とはこうすることなのか。俺ならもっと上手く斬ってやる、と以蔵は次第に人斬りとしての本能を呼び醒ましてゆき、東洋暗殺現場で耳にした「天誅!」という言葉を心の中で何度も繰り返した。

その年の夏、武市率いる土佐勤皇党は京都に上洛した。瑞山と号した武市は数年後に勤皇一派の中心人物となり、都で栄華の限りを尽くしていた。以蔵もまた武市の下で多くの謀略・破壊工作の実行役として加担し、もはや昔のくすぶっていた以蔵ではなく、名うての「人斬り以蔵」として鳴らしていた。そして、土佐勤皇党はこの自分で持っているようなものだ、とまで得意の絶頂を誇示する以蔵の前に、武市とは異なる道を選んだ男・坂本龍馬が現れる。以蔵と龍馬は子供の頃からの知り合いであった。

本間精一郎、井上佐一郎らを新たに葬った以蔵だが、坂本龍馬は以蔵に人斬りをやめるよう忠告した。当初は聞き入れるつもりもなかった以蔵だったが、身分の上下もなく誰も気にすることのない時代を切り開く、との龍馬の言葉に次第に共鳴を覚えてゆく。それは、かつて武市に随行した際に逗留した攘夷派の急進的公卿・姉小路公知邸を訪れた時に出逢った美しい綾姫の存在を忘れる事が出来ずにいたからであった。

綾姫は姉小路卿の妹で、以蔵は惚れた想いを告げるどころか、以蔵の野蛮な容姿に恐怖を覚えた姫から「けだもの」と蔑まれた。だが、想いは一層強くなり、いずれ自分が武市の下で立身出世するか、龍馬が言う新しい時代になったとき、綾姫を自分のものにできるかもしれない、と以蔵はささやかな希望を宿していた。

そんな折、以蔵の人斬りが目立ち、天皇から自重するようにお達しがあったため、武市は次の大天誅から以蔵を外すことを決め、以蔵にしばらく骨休めの期間をもうけていた。以蔵は、勤皇派が以前から内密に計画していた大天誅・近江国石部宿での襲撃の先遣隊から自分が外されたことを知るや無我夢中で駆け出し、辛くも襲撃隊に合流して薩摩侍・田中新兵衛と共に目覚しい働きをみせるも、その際に藩名と自身の姓名を声高に叫んだ失態を武市から厳しく叱責された。

さらに以蔵は、龍馬から武市のためにもなると依頼され勝海舟の護衛を務めたことも武市の逆鱗に触れ、土佐に帰れと面罵された。以蔵は武市からの離反を試みるが、武市を気づかい、その政治力を恐れた諸藩らから以蔵は雇い入れを拒まれた。やけ酒を飲んで荒れる以蔵を田中新兵衛は慰めた。以蔵の情婦となっている女郎・おみのは、武市に謝罪することを薦め、以蔵はやむなく武市のもとに戻り、人斬りの運命から逃れる事が出来なくなっていった。

武市は田中新兵衛の刀を以蔵に持たせて、意見の相違が生じていた姉小路卿の暗殺を密命した。以蔵は驚いたが命令をなんとか実行した。姉小路殺しの嫌疑をかけられ京都町奉行に捕えられた新兵衛は、犯行を否定したが証拠として自分の刀を見せられると、申しひらきもせず突然その刀で自ら切腹した。以蔵は姉小路卿までも斬り、友の新兵衛まで裏切る形となった直後から、酒に溺れるようになり名声は凋落した。

浪人狩りの網にかかった以蔵は六角牢に投獄され、「土佐の岡田以蔵だ」と名乗るものの、知らせを受け面会に来た武市から、「岡田以蔵ではない」と見知らぬ者扱いされ見捨てられたため、そのまま「無宿者の虎蔵」と名付けられて牢で厳しい拷問にかけられた。そんな以蔵に手を差し伸べたのは坂本龍馬であった。ようく以蔵は8か月後に赦免されたのち、龍馬の門人として新しい時代を築くために残りの人生を尽くそう、と思い始めた。慶応元年、以蔵は龍馬と九州に行くために、待ち合わせ場所の土佐にいた。

一方、反動政策により吉田東洋暗殺の嫌疑で武市も土佐で拘束され、藩は東洋暗殺の下手人を探していた。土佐勤皇党の1人は、以蔵が捕えられるとまずいと考え、土佐から離れるように促した。しかし武市は非情にも以蔵を消し去ろうと図り、かつて以蔵が目をかけた弟分・皆川一郎に毒殺役を命じた。春祭りの酒を持って来た皆川を疑いつつも、毒味で2杯飲んだ皆川が平気なため、以蔵もその酒を飲むが数分後毒が回り始め、皆川が死んで、以蔵は辛くも助かった。

以蔵はこのことで勤皇党の幕を下ろそうと決意し、自らの行なってきた謀略の人斬りと武市一派が行なった計画の全てを告白するため高知城の番所に出向いた。以蔵は武市を売る金の三十両を、借金で遊郭稼業に縛られている貧しいおみのに先渡しすることと引き換えに、洗いざらい話した。

5月の土佐の春祭りの日、龍馬は以蔵を迎えにやってくる。だが、そのとき以蔵は磔台にいた。武市が政治犯として切腹を命じられ、自分は一介のならず者の人斬りとして処刑されることを聞いた以蔵は、武市から自由になったと言い、祭囃子を遠くにききながら磔の刑に処されて壮絶な最期を閉じた。

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